7月24日主日礼拝  「主の民すべてが」

 

万人祭司

 私たちバプテスト教会はその歴史の中で大切にしてきたいくつかの特色があります。それらはバプテスト教会が自分たちの信仰をより良く表すための手段として選び取ってきたものであり、それゆえになぜそのことを大切にしているのかを知っていくことは大切なことです。なぜならそれらは私たちの信仰のアイデンティティを支えるものであるはずだからです。

 

 私たちバプテスト教会の信仰の本質と呼べるものを一言で言い表すとするのなら「個人の自覚的主体性の尊重」にあります。このことをより簡単に言い換えれば、私たち一人ひとりの信仰は神と私の間に何物も入り込まず、一人ひとりが神との親しい関係の中で応答していくということを大切にしているということです。ゆえにバプテスト教会では牧師も信徒の一人ですし、他の教派のように何か特別な階級があるわけでもありません。ですから牧師も一人の信徒として神に祈り、礼拝し、御言葉を聴きます。

 

 このことはバプテスト教会が成立していった歴史にも大きく影響されていることだと思います。バプテスト教会は、イングランド国教会という神と人との間に王が入り込む体制を良しとしない人々によって起こされていきました。そうであるがゆえに「個人の自覚的主体性の尊重」というものを最も大切なこととして受け継いできたわけです。そしてその最も大切なことは実際の教会での様々な場面で表されてきました。

 

 例えばその中の一つに「各個教会主義」というものがあります。これは私たちバプテスト教会がカトリック教会のような中央統治機関を一切持たず、それぞれの地に建てられた教会一つひとつが独自の自治権と信仰告白を持つというものです。それゆえに私たちバプテストの教会には教会間での上下関係のようなものはありませんし、ある教会が他の教会に対して命令するといったようなこともありません。それぞれの教会はあくまで独立しており、それぞれが一個の教会として機能しているわけです。

 

 そして私たちが今も体験しているバプテストの特徴のもう一つに「万人祭司主義」というものがあります。これはもともと宗教改革者のマルティン・ルターの言葉がもとになっているのですが、彼は自らの著書「キリスト者の自由」の中で次のように述べています。「イエス・キリストを信じる信仰において、すべてのキリスト者に祭司の務めが賦与されている。隣り人のため、神の御前で執り成しの祈りを献げる務めである。」

 

 「万人祭司」とは元々、特別な階級だけに執り成しの業を認めていた当時のカトリック教会の現状に対して主張されたものでした。神の前では特別な階級のものなどいないのだから、すべての人が執り成しの務めを神から託されており、それに応答するようにと招かれているのだ、という主張です。このことは現代のバプテスト教会においても受け継がれ、「相互牧会」という形で表されています。

 

 バプテスト教会では牧師だけが「牧会」をするのではありません。教会に集められた一人ひとりがお互いに「牧会」し合うのです。だからこそ、バプテスト教会はたとえ「無牧師」の状態になったとしても、「無牧」の状態にはなりません。互いに「牧会」し合う関係というものが私たちの教会を支えている大切なことのひとつなのです。

 

 そして、この「万人祭司主義」は一人ひとりが自由に御言葉を聴き、そして語ることの大切さも同時に示しているのだと思います。それが教会の活動の具体的なものとして現れているのが教会学校であり、祈祷会であり、そして信徒宣教だと思うのです。信徒一人ひとりが御言葉を聴き、自由に語ることは他教派にはあまり見られないバプテストを代表する特徴の一つです。

 

 特に信徒宣教は多教派では明確に禁止されていたりするものですが、バプテスト教会はむしろそのことをこそ大切にしてきた歴史があります。その理由は先ほどの「個人の自覚的主体性の尊重」を大切にするバプテストの信仰にありますが、もう一つ重要なこととして聖書にも「信徒宣教」につながってくるような出来事を示すメッセージがあるからです。

 

分かち合われる神の霊

先ほどお読みいただきました聖書箇所ではモーセ以外の人々にモーセに授けられていた霊が分け与えられていったことが語られています。モーセという人は神によって召し出されて、エジプトで奴隷状態にあったイスラエル民族を救い出すために神が用いられた人物でした。他にアロンという助け手はいたものの、当初モーセはイスラエルという巨大な民を実質一人で面倒を見ていくことになりました。

 

 しかし、エジプトから脱出し、旅が続いていくにつれてイスラエルの民の中に不満を募らせるものたちが出てきました。それら全てにモーセが直接関わることの負担を重く見た神は70人の長老たちにモーセに授けた霊の一部を分け与えることを告げられます。このことでモーセの負担は軽くなり、イスラエルは円滑に旅を続けることができるようになっていったわけです。

 

 このことを聞いて新約聖書で語られているパウロの言葉を思い起こされた方もおられるかもしれません。パウロはコリントの信徒への手紙で次のように語っています。「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。 神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。 

 

 このことをはじめとして新約聖書には多くの人々がそれぞれ神から託された働きがあることを示している箇所が多くあります。しかし、旧約聖書ではどちらかと言えば一人の預言者や王などに全ての働きが託されているかのように感じてしまう部分も多いのではないでしょうか?確かに旧約聖書ではそうした神と人との間に預言者や王が挟まれているかのような描写は多いです。ですが、今日のモーセに託されていた働きが共同体に分かち合われていったという描写があることもまた事実なのです。

 

 モーセに与えられていた霊が長老たちに分かち合われていった時、彼らは預言状態になった、とあります。「預言状態」は様々な解釈ができますが、私たちの現代の教会に重ね合わせて読むならば、それは「御言葉を語ること」ということでしょう。つまり、神の霊を受けた一人ひとりが御言葉を語っていったということです。それは当時としては考えられないような出来事だったのでしょう。

 

 その光景をみた後にモーセの後継者となるヨシュアは思わずモーセにこう言っています。「わが主モーセよ、やめさせてください」。ヨシュアはなぜこう言ったのでしょうか?おそらくヨシュアは神の御言葉を語ることは特別なものであり、モーセ以外が語ることは許されないことと思っていたのではないでしょうか。 それはある意味当時の常識であって、ヨシュアの訴えは至極真っ当にも思えます。

 

 しかし、そんなヨシュアに当のモーセは次のように答えるのです。「あなたはわたしのためを思ってねたむ心を起こしているのか。わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。」 モーセは自分の特別な地位を守ることよりも、むしろ主の民全てが預言者になること、すなわち御言葉を語っていくことになることを望んでいたわけです。

 

 そして何より、この出来事は神によって引き起こされていったということも忘れてはならないことでしょう。私たち一人ひとりは神によってその霊を分け与えられて、一人ひとりが御言葉を語っていくものとして召されているのです。

7月17日主日礼拝  「本当に大切なもののために」

 

天城山荘の結末

 おはようございます。先日、連盟の臨時総会がありました。書面での総会でしたが、その議案内容はバプテスト連盟が保有している天城山荘の売却の是非を問うものでした。天城山荘というものがどんなものかわからない方もおられると思いますので、簡単に説明させていただくと、静岡県の伊豆市にある宿泊および研修施設で1954年に、在日米軍婦人部のバプテストのキリスト者と米国南部バプテスト連盟加盟教会の献金により建てられました。

 

 彼らは、次の時代を背負う日本の青少年たちのために研修施設が与えられないだろうかと願い、この山荘を建てられたとのことです。そんな天城山荘はこれまで多くの人々に利用されていきました。毎年行われている連盟総会や壮年大会、女性大会でも利用されてきました。また連盟内の人々だけにとどまらず、他教派の人々やミッションスクールの学生の研修先としても利用されてきた実績がありました。しかし、順調だった山荘の歩みも時代を経るごとに段々と厳しいものへと変わっていきました。

 

 施設の老朽化やお世辞にもアクセスが良いとは言えない立地、そして近年の少子化などにより利用者数は徐々に減少していき、黒字だった会計も今から数年前には赤字となってしまっていました。しかし、これまで60年以上に渡り、多くの方々に利用され、親しまれてきた施設です。赤字会計となっても閉館や手放すといった決断はなかなかできなかったのでしょう。連盟としてはなんとか立て直しを目指し、差し当たっては天城山荘の赤字分を連盟の協力伝道献金から支出する形で経営再建が進められていきました。

 

 ですが、そんな中2019年にコロナウイルスが流行し始めると、あらゆる宿泊施設と同じように天城山荘の利用者数は激減し、ついには営業自体が困難な状態となり、20213月には無期限の長期休業という状態にまでなってしまいました。今もなお続くコロナ禍の中で、営業再開の目処も立たないことから、ついに連盟は天城山荘を譲渡もしくは売却する方向性の検討に入りました。そして先日、天城山荘を売却するという決議が行われ、賛成多数により天城山荘は売却されることに決まりました。

 

 天城山荘はこれまで多くの人々に利用され、連盟をはじめ、多くのキリスト教団体の活動に貢献してきたことは間違いのない事実だと思います。しかし、一方で時が経つにつれ、その在り方が段々と時代にそぐわなくなっていったのもまた事実なのだと思います。ここで一つ振り返りたいのは、天城山荘を建てようと志した人たちがどのような思いを持っていたのか、ということです。

 

 先ほど天城山荘は、「次の時代を背負う日本の青少年たちのために研修施設が与えられないだろうかという願い」によって建てられたとご紹介しました。天城山荘を建てられた人たちは「次の世代を担う人たちのために」その助けとなる施設として天城山荘を建てられたということなのだと思います。つまり、彼らが最も大切にしていたことは「次の世代の教会とそこに集う人々」だったのだと思います。そしてそれは同時に天城山荘という形式に込められた本質でもあるのだと思います。

 

 しかし、残念ながら近年の天城山荘の状態はそんな彼らが最も大切にしていたことからは離れてしまっていたように思えます。「次の世代を担う人たちのために」という最も大切にしなければならない本質よりも、建物というその形式の維持にこだわってしまっていたことが、逆にその本質から遠ざかってしまっていたのではないかと思います。

 

 なぜなら、その形式の維持のために少なくない時間と多くの献金が割かれることになり、「次の世代を担う人たちのために」という本質に今の時代の中で最も適した形式を選び取るということから離れる一方だったからです。ですが、私たち人間はどうしてもこの目に見える形式に囚われがちになってしまうこともまた事実でしょう。このようなことはいつの時代も繰り返し起こってきたことも私たちは聖書から知らされていくことなのだと思います。

 

なにが最も大切なのか?

 先ほどお読みいただいたガラテヤの信徒への手紙では、ガラテヤの教会で起こっていたであろう「ある問題」についてパウロが助言を行なっています。そのある問題というのがキリストを信じる者になるために割礼を受けなければならないのか?という問題でした。割礼というのはユダヤ人がこれまで大切にしてきた風習の一つでした。それは彼らユダヤ人にとって神から選ばれた特別な民であることを象徴するものであり、神とのつながりを表すものだったわけです。

 

 しかし、初代教会の時代、そんな割礼も時代の流れと共にその在り方が見直される時を迎えていました。なぜなら、パウロをはじめとするキリスト教(この時はまだユダヤ教の一派に過ぎませんでしたが)がユダヤ人のみならず、異邦人にも宣教されていったからです。割礼とはユダヤ人にとっては特別なものであり、これまで長い間大切にされていたものでしたが、異邦人にとってはそうではありません。

 

 そのことで「異邦人であっても割礼を受けさせるべきだ」と主張するグループが現れ、そのことでガラテヤの教会は混乱してしまっていました。そんな中、パウロが送ったのが今読んでいるガラテヤの信徒への手紙なわけです。パウロは混乱するガラテヤの人々に対してはっきりとこう言っています。「ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。」

 

 このようにパウロは割礼をバッサリ切り捨てているわけですが、これは当時としては相当に勇気のいる発言だったと思います。その理由はいくつかありますが、その中でも一番大きなものが、割礼というものが「それまで当たり前とされてきた既存の慣習」だったからに他ならないでしょう。それほどまでに「割礼」は長い間当たり前のこととして受け継がれており、そのことを廃止することなど考えられないほどになってしまっていたわけです。

 

 しかし、そんな暗黙のうちに不可侵とされていた「割礼」の是非に果敢に切り込んで行ったのがパウロという人でした。彼は「割礼」を必要のないものと主張しましたが、それはなにも闇雲にそう主張しているわけではありませんでした。パウロはまず長い時の中で形骸化してしまっていた「割礼」というものの本来の意味を思い起こすことが大切だと考えていました。「割礼」とは本来、神との契約の印として行われてきた形式でした。つまり、言い換えれば神とその人との関係を表すものだったわけです。それはあくまで形式であって、その割礼そのものが何か力を持っているわけではありません。

 

 もちろん、はじめのうちはその意味と共に形式が受け継がれていったことでしょう。しかし、長い時の中でいつしかその意味は失われ、いつの間にかただ「割礼」という形式を行うことが重要とされてしまっていったのだと思います。そして本来「神との関係を思い起こす」という最も大切なことを象徴するための割礼が、とにかく「割礼という形式」を受けることが大切なこととされていってしまっていました。

 

 パウロはそのような現状に対して真っ向から否を突きつけました。本当に大切なことはなんであるのか?もう一度思い起こさせるためにあえて真っ向から「割礼」を否定したのかもしれません。パウロは既存の形骸化した形式を廃し、そして時代に適した在り方へと大胆に改革していきました。パウロはこう語っています。「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」 

 

 これが彼の主張したかったことの全てでしょう。「割礼」という形式にこだわらず、イエスと結ばれているという本質を思い起こすこと、そして、その本質を表す新たな形式として「愛の実践を伴う信仰」こそが本当に大切なことであることを語ったのでしょう。

 

 私たち人間はつい物事の外側である「形式」にこだわってしまうことが多々あります。もちろん、「形式」がどうでも良いということではありませんが、しかしその奥にあるはずの最も大切にしなければならないはずの本質を見失わせてしまうようなものになってしまっているのであれば、私たちは時に大胆にその形式を変更していかなければならないでしょう。

 

 その判断は時に難しく、痛みを伴うこともあるかもしれませんが、パウロや初代教会の人々がそうしていったように、私たちもまた御言葉に聴きながら、変化を恐れることなくより良い信仰のあり方を求め続けていきたいと願います。

7月10日主日礼拝  「何度でも」

 

2度目の気づき

 おはようございます。先程、壮年会の方々に神学校のアピールをしていただきました。私たちバプテスト連盟は現在3つの神学校を持っています。東京バプテスト神学校、九州バプテスト神学校、そして西南学院大学神学部です。私は4年間、西南学院大学に通っていましたが、そこでは様々な気づきを与えられ、多くのことを学ばせていただきました。

 

 しかし、そんな神学校も年々神学生が減り、また教えてくれる教授も段々と引退されていき、厳しい状況が続いています。先に挙げた3つの神学校以外にも、日本には神学校はありますが、それでも私たちが大切にしてきたバプテストとしてのアイデンティティの根幹を学ぶことができるのは先の3つの学校だけだと思います。

 

 献身者となる学生も、教える教師も、そして神学校を運営していくための資金もそれぞれが減少していく中でも、願わくば私たちバプテスト教会は神学校を、そしてそこで学ぶ学生、教師、その他のスタッフのことを覚えて祈り、また支援していきたいと思います、なぜなら、そのことは教会の未来に大きく関わってくることだと思うからです。

 

私たち教会は聖書の時代の初代教会の時代から数えれば、2000年以上の歴史を持っています。その長い歴史の中では教会の在り方として変わっていったこともあれば、一方で変えられなかったこともあります。私たち教会はなんでも好き勝手に変えていいわけではありませんし、だからといってそれまで続けてきたことだけに執着して、変化を拒んでもいけないのだと思います。

 

 教会はそのような何を変え、そして何を変えてはいけないのか?という難しい判断と2000年間向き合い続けてきた共同体なのです。その判断には後から歴史を振り返ってみれば正しかったといえる判断もあったでしょうし、反対に間違っていたといえる判断もあったと思います。人間の判断である以上、常に正しい判断をし続けることなどできないからです。しかし、私は正しい判断をし続けることよりも、正しくあろうとする意志を持ち続けることこそがなにより大切なのだと思うのです。

 

 そして、その正しくあろうとする意志を呼び起こすものが御言葉なのだろうと思います。私たちは神の語る御言葉によって「気づき」を与えられ、難しい判断に迫られた時でも、正しくあろうとする意志を持ち続けることができるのだと思います。そしてそんな多くの「気づき」を与えられる場所の一つがが神学校なのだと思います。もちろん、そのような神からの「気づき」を与えられるのは神学校だけでは決してありませんが、それでも将来、牧師や教役者として教会に遣わされていく人間にとって多くの「気づき」を与えられる大切な場であると思うからです。

 

 

自分の外側に目を向けてこそ

 先ほどお読みいただきました聖書には、そんな「気づき」が与えられた人がいたことを私たちに伝えているのかもしれません。ある時、イエス一行はベトサイダという村に立ち寄られました。すると一人の盲人が村の人々に伴われてイエスのもとへと連れて来られました。この村の人々はイエスの噂を耳にしていたのでしょう。盲人に触れていただきたいとイエスに願い出るのでした。

 

 するとイエスは盲人をその村の外へと連れ出します。盲人の目を開かせるためには、その人が慣れ親しんだ環境から一度外に出て、異なる環境に触れる必要があったのかもしれません。盲人はイエスに手を引かれ導かれることでまだ自分の知らない場所へと出ていくことができたのです。そして、いよいよイエスは盲人に触れられますが、それは一度だけでなく二度行われているところにきっと大切なメッセージが込められているような気がするのです。

 

 イエスは一度目に盲人に触れられた時「何が見えるか」と尋ねられています。これは盲人の応答を求める言葉だと思います。その問いかけに対して盲人が「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。」 と返答しています。この時盲人はこれまで自分が見ることができなかったものが見えていることにさぞ驚いたことでしょう。しかし、その目に映ったものは未だぼんやりとしていたのでしょうか?人が見えると言いながら、木のようだと返答しています。

 

 長年盲目であった人が突然見えるようになったわけですから、無理もないことかもしれません。そこでイエスはもう一度盲人に触れられるのです。するとぼんやりと見えていたであろう盲人の目ははっきりと見えるようになっていったのでした。

 

 

 私はこの箇所を読むと自分がまだ神学校に入学する前のことを思い返します。ここで語られている「盲人」と自分自身が重なってくるような気がしてくるのです。当時、「信仰」について何も見えていなかった「盲人」である私の手を引いて、イエスのもとへと導いてくれたのは、私の出身教会であるふじみ野教会の方々でした。周囲の人に支えられ、また助けられて私の神学校への道が備えられていったことを思い起こします。

 

 私はふじみ野教会で5年間ほど教会生活を過ごした後、福岡の西南学院に就学しました。私にとっては今まで過ごしてきた関東を離れて、まったく異なる環境で始まった学びでした。しかし、それゆえに自分が今まで触れたことのない様々な体験とそして多くの気づきが与えられたのであろうと思います。イエスが盲人を一度村から出されたのにはきっとそのような意味があったのだろうと思います。

 

 そして、盲人にイエスから触れられ、問いを投げかけられるのは、神学校において神学生に問われ続ける「神とは何か?」「信仰とは何か?」といった究極の問いを考え続けることと重なってくるのです。神から投げかけられたその問いにその時その時の精一杯の返答をしていくことが神学の営みだと言えますが、もちろんその歩みは試行錯誤の連続ではっきりとした答えを出すことなど到底できないような歩みです。

 

 しかし、私たちが神からの問いかけに精一杯の応答をしたその先に、神はまた新たな「気づき」を与えてくださることも私たちが体験していくことなのだと思います。イエスが盲人に一度だけでなく再び触れられたのには、きっとそのような意味があったからなのだと思います。そしてそれはきっと何度でも起こることでもあるのだと思います。私たちはイエスに触れられ、問われていくことで、何度でも新たな気づきを与えられていくからです。

 

 そして、そんな気づきはもちろん神学校だけでも神学生だけに起こることでもなく、教会に集められ、イエスを信じる一人ひとりが体験していくことでもあります。それは様々な場面で起こってくるでしょう。一人で祈っている時や聖書を読んでいるときも起こり得るでしょうが、なにより私たちは共に祈り、聖書を読み、そして共に同じ時間を過ごす中で気付かされることこそはるかに多いのではないでしょうか?

 

 それは、神が教会という共同体を用いてそこへと集められた人々に語りかけられ、新たな気づきを与えられることで、そこに集う一人ひとりを新たに造り変えようとしておられるからだと思います。そのようにして教会という共同体は2000年間変化を続けてきたのです。

 

 私たち現代の教会の前にも多くの課題があります。特にこの先の教会の在り方については差し迫った課題であり、難しい判断を要求されうることでもあります。しかし、私たち一人ひとりが与えられる気づきを持ち寄ることで、きっと新たな景色が見えてくるはずだと信じます。神はどんな時でも私たちと共に歩んでくださり、そして何度でも私たちに触れてくださる方ですから。

7月3日主日礼拝  「一つの群れとして、様々な働きに」

 

春日原教会就任按手式にて

 おはようございます。先週の日曜日の午後に福岡にある春日原キリスト教会の牧師就任按手式に出席してきました。出席と言ってもZOOMでの参加でしたけれども、一人の牧師が立てられていく記念の式に参加できたことは喜ばしいことでした。今回按手を受けたのは原田賢牧師で、私たち古賀島教会にも一度ZOOMを通してメッセージをしてくれたことを思い出します。

 

 彼の赴任は2021年度からでしたが、このコロナ禍の中で多くの教会がそうであったように何度か就任按手式を延期されてきたそうです。そして今回ようやく開催することができたとのことでした。就任式はその準備だけでも相当に大変なものですが、今回のコロナ禍によって開催の時期の選定などさらに大変なイベントになってしまったなと思います。

 

 しかし、そんな困難乗り越えて今回無事に就任按手式が終えられたことは、春日原教会にとって、とても豊かな恵みとして受け止められたのだろうと思います。就任按手式は一人の人に教会の働きを委託することを公に表すために行われます。そうすることで、教会の一人ひとりがこれから立てられていく一人の牧師を支えていくことを確認し、立てられていく牧師もまた教会の働きを委託されることを受け止め、その働きに応答していくことができます。

 

 教会には様々な背景、事情、人種、性別、年齢、性格、賜物を与えられた人々がいます。それは神によって一人ひとりが呼び集められた共同体です。しかし、それほどまでに集められた一人ひとりは異なっているのもかかわらず、神はそんな共同体を用いられて働きをなされようとされます。一見するとバラバラで統一性もない共同体に見えるかもしれませんが、そこに集められた一人ひとりはたった一つのことにおいては一致しています。

 

 私たちバプテスト教会は各教会ごとに検討された信仰告白というものを持っていますが、聖書の時代の初代教会には現代のように整備された信仰告白はありませんでした。しかし、だからといって彼らが信仰告白をしていなかったわけではありませんでした。彼らは確かに現代の教会のような細かい信仰告白文は持っていなかったかもしれませんが、しかし「イエスは主である」というたった一つの信仰告白によって一つの共同体とされていました。

 

 神は様々な背景、事情、人種、性別、年齢、性格、賜物を与えられた人々を教会に招かれますが、それは決してバラバラの群れではないのです。一人ひとりがイエスを告白し合うことで、イエスによって繋げられる共同体、それが教会なのです。だからこそ教会は神が召される働きに教会という共同体として応答していくことが求められています。牧師就任式はそのような教会として召された働きへの応答を表すものでもあるでしょう。

 

 

様々な人が集められる教会

 先ほどお読みいただきました聖書の箇所にもそのようなことが現れているかもしれません。当時パウロがいたアンティオキア教会には様々な人たちが集まっていたとあります。彼らは、異なる人種の集まりであり、生まれも育ちも異なります。バルナバは、キプロス出身のレビ族のユダヤ人です。ニゲルと呼ばれるシメオンは、黒人です。キレネ人のルキオは、アフリカ出身の人物です。そして、マナエンという人は、ヘロデ王にとても近しかった人であり、王室の人間だったのではないかとされていまる人です。それから、サウロですが、彼はベニヤミン族のユダヤ人、パリサイ派、サンヘドリンの一員でした。

 

 このように初代教会の時代から教会という場所には人種も性別も立場も背景もその他様々なことが異なっている人々が集まっていました。今でこそグローバル化が進み様々な違いを持つ人々同士が集まることはそれほど珍しくなくなったかもしれません。しかし、初代教会の時代、これだけ多くの違いがある人々同士が一つ所に集まり、しかも共に同じ方向を向いて何かを成していこうとすることは非常に珍しいことだったでしょう。

 

 当時の彼らがこれほどの互いの違いを持ちながら、それでもなお共に一つの共同体となれたのはたった一つの共通点があったからでした。その共通点は2000年前、教会が誕生してから今でも変わらず受け継がれているもの、彼らは、そして私たちはイエスを主と信じる共同体、イエスによって一つとされている共同体なのです。教会があらゆる違いを乗り越えて一つの共同体とされていくのは、イエスによって互いがつなぎ合わされているからに他なりません。

 

 そして神は教会に集められた一人ひとりの違いを活かす形でご自分の業をなされていく方なのだと思います。私たちは一人ひとり神から与えられた賜物があります。それらは互いに異なるものであることをパウロはコリントの信徒への手紙でこう語っています。「ある人にはによって知恵の言葉、ある人には同じによって知識の言葉が与えられ、 ある人にはその同じによって信仰、ある人にはこの唯一のによって病気をいやす力、 ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。」

 

 パウロは多くの種類の賜物について語っていますが、そのどれもが教会にとって必要なものであり、優劣などは付けることができないことをも語っています。なぜなら神はその人を必要な人として教会に集め、その教会の働きのためにその人を最善の時に用いられるからです。ところで、先ほど名前が挙げられていたアンティオキア教会の人々は預言や教師としての賜物を与えられた人々でした。

 

 これだけ多くの同じ役割を与えられた人々がいれば、下手をすれば衝突やあるいは分裂も起きてしまいそうですが、そのようなことが起こらなかったのはその一人ひとりが適切な役割を与えられ、互いにその役割を尊重しながら働きを続けていたからではないでしょうか。私たちもまた互いの働きを尊重しつつ、そして感謝して教会としての歩みを続けていきたいと思います。

 

 そして初代教会においても現在の教会が行なっているような牧師就任式のようなことが行われていたことが記されています。「彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。『さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。』 そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。 」教会に集められた人の中から、特定の人が選ばれ、特定の働きへと立てられていくというこの出来事はまさしく現代の教会が行なっているような牧師就任式のようなものであると思います。

 

 しかし、これはバルナバやサウロが他の人に比べて特別優れていたから選ばれたわけではありません。神から教会に託されたある働きに最も適切であるから選ばれたに過ぎません。そしてそれは私も含めた現代の教会の牧師も同様です。神が教会に様々な人を集められるのはひとえに様々な働きをその一人ひとりにお任せになるからでしょう。私たちはその神の選びを初代教会がそうしていったように祈りの中で聞いていきたいと思います。

 

 そしてそれぞれに託された働きを互いに尊重しつつ、助け合い、励まし合いながらこれからも共に教会としての歩みを進めていきたいと願います。